ピロリ菌感染症に対するプロバイオティクスの開発
明治乳業株式会社 食品機能研究所 木村 勝紀
プロバイオティクス (probiotics) は、抗生物質 (antibiotics) に対比される概念で、生物間の共生関係を意味するprobiosisに由来する。当初プロバイオティクスは、「腸内細菌叢のバランスを改善することにより、宿主の健康に有益な影響をもたらす生きた微生物」と定義されたが、現在は、「宿主の健康に有益な影響をもたらす微生物」として広義に定義され、腸内細菌叢のバランスの改善だけでなく、免疫に関連した領域や様々な疾病の予防や治療への応用研究が盛んに行われている。本シンポジウムでは、ピロリ菌感染症に対するプロバイオティクスの研究開発の概要について紹介する。
ピロリ菌は、微好気性のグラム陰性菌である。形態は、細長い右巻きらせん状で、一端に有鞘鞭毛を有している。生息部位は、ヒトの胃の幽門部や体部の胃粘膜細胞の表層と粘液中である。ピロリ菌は、強力なウレアーゼをもっており、これにより胃粘液中に含まれる尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解し、胃酸を中和し、胃の中に持続感染できることが知られている。1982年にオーストラリアのWarrenとMarshallが、慢性活動性胃炎患者の胃粘膜からピロリ菌の分離・培養に成功して以来、本菌が慢性胃炎や消化性潰瘍など様々な胃・十二指腸疾患に関与していることが明らかになってきた。わが国のピロリ菌感染率は約50%と高く、感染者は膨大な数にのぼる。このうち胃・十二指腸潰瘍患者に対しては抗生物質を用いた除菌療法が確立しているが、その他多数の健康なピロリ菌感染者においても、ピロリ菌感染をコントロールすれば感染に伴う胃・十二指腸疾患の発症リスクの低減が期待できる。しかし、これら全員に対して抗生物質を用いた除菌療法を行うことは、疫学的見地からは合理的ではないと考えられている。また、抗生物質を用いた除菌療法には副作用や耐性菌の出現といった問題も危惧されており、安全で手軽なピロリ菌対処法が望まれている。このような背景のもと、新しいピロリ菌対処法として、ピロリ菌抑制作用に優れたプロバイオティクスの開発について検討した。
ピロリ菌抑制作用に優れたプロバイオティクスを選択するために、Lactobacillus属の乳酸菌200菌株を対象に、in vitro試験 (人工胃液耐性試験、低pH 条件下での増殖性試験、胃由来培養細胞に対する付着性試験、ピロリ菌増殖抑制試験など) およびピロリ菌感染動物実験を行い、Lactobacillus gasseri OLL2716 (LG21) を選択した。LG21のヒトでの有効性を調べるために、ピロリ菌陽性ボランティアを対象に、LG21含有ヨーグルトの投与試験を行った。胃内ピロリ菌数および胃粘膜の炎症度を評価するために、それぞれ尿素呼気試験および血清ペプシノーゲン
Ⅰ/Ⅱ比の測定を行った。ピロリ菌陽性ボランティア31名にLG21含有ヨーグルト90gを1日に2個、8週間摂取させたところ、尿素呼気試験におけるΔ13C値の有意な低下および血清ペプシノーゲンⅠ/Ⅱ比の有意な上昇が認められた。また、このうち6名のボランティアを対象に、LG21含有ヨーグルト摂取前後において内視鏡により胃組織を採取し、胃内ピロリ菌数を測定したところ、全例で胃内ピロリ菌数の減少が認められた。一方、LG21を含有しないヨーグルトにはこのような作用は認められなかった。次に、LG21含有ヨーグルト長期投与試験を行った。ピロリ菌陽性ボランティア31名にLG21含有ヨーグルト120gを1日に1個、24週間摂取させたところ、同様に尿素呼気試験におけるΔ13C値の有意な低下および血清ペプシノーゲンⅠ/Ⅱ比の有意な上昇が認められた。以上の結果より、LG21含有ヨーグルトの摂取により、胃内ピロリ菌数が減少し、胃粘膜の炎症が改善されることが示唆された。問題は完全除菌ではなく、ピロリ菌数の減少のみで、胃・十二指腸疾患の発症を予防できるかどうかであるが、本臨床試験で、胃粘膜炎症度を反映する血清ペプシノーゲンⅠ/Ⅱ比が有意に改善されたことは発症予防に対する有効性を支持している。さらに、ピロリ菌感染により胃潰瘍や胃癌を自然発症するスナネズミにピロリ菌を感染させた後、LG21 (109 cfu) を週に1回投与し、LG21の胃潰瘍発症阻止効果を検討したところ、感染1年後において非投与群では30.4%が胃潰瘍を発症したのに対し、LG21投与群では発症率が4.3%まで低下した。このときの胃内のピロリ菌数は、LG21投与群では非投与群に比べて1/10に以下していた。
ピロリ菌感染により全例が組織学的胃炎を生じるが、胃・十二指腸潰瘍を引き起こすのは、全感染者の2〜3%にすぎない。胃癌に至るのは更に少なく、全感染者の0.4%といわれている。すなわち、ピロリ菌感染者のほとんどは、胃・十二指腸潰瘍や胃癌に罹患することなく、一生を終えることができる。したがって、ピロリ菌感染者全員を除菌することは、疫学的見地からは合理的ではないと考えられている。しかし、胃粘膜組織のピロリ菌数と十二指腸潰瘍の発症に相関があることや萎縮性胃炎は胃癌の危険因子の1つであると考えられていることなどから、健康なピロリ菌感染者においても、胃内ピロリ菌数を減少させ、胃粘膜の炎症を改善することは胃・十二指腸疾患の発症リスクの低減に有効であると思われる。
木村 勝紀 KATSUNORI_KIMURA@MEIJI-MILK.COM
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